人生

幸せな自分でいたいから「忙しい」って言わない。保育園への送迎で考えたこと

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ボクには3歳児の息子がいて保育園に通わせている。

今回は、他のご家庭の親子のやり取りを見ていて感じたことをお伝えしたい。

結論は「忙しさは自分を不幸にしているかもしれない」ということです。

私は忙しいのよ!

今、家事・育児は妻と分担していて、今日はボクが息子を保育園に送り届けたのだが

ちょうど他の家のお母さんもお子さんを送り届けにきていた。

今日は月曜日。月曜日の朝は忙しい。

週末に家に持ち帰って洗濯した布団カバーを取り付けたり、

他の平日とは違うタスクがあるのだ。

週末、自宅でリラックスして過ごした子どもが週明け保育園に行くのは

憂鬱だったりするケースも多く、なかなか大変。

息子と仲良しの男の子がボクたちよりも少し遅くに保育園にきた。

その子のお母さんはいつも急いでいて、今日は特に忙しそうだった。

布団カバーをかけながらお母さんが口早に言う。

「あー、お母さん、遅刻しちゃうよ。」

声も大きく体格も良い。勤め先の出勤時間があるのだろう。

男の子は大慌てのお母さんを見ながら呆然と立っているようだった。

母親に抱きしめて欲しいことを察したのか、お母さんはこう言って男の子を抱きしめた。

「ギューってしてほしいの?ギュー!それじゃ、お母さん行ってくるね!」

ドタバタと保育園を出ていった。男の子はお母さんを見ているが何も言わない。

しばらくして他の友だちが登園してきて

「〇〇先生、◇◇ちゃんが来たよ〜」

と元気な声で先生に伝えた。

忙しいってなに?

忙しい状況って結構ありますよね。

まれに、大量の仕事依頼が来て忙しすぎる!ということもありますが

ほとんどはネガティブなこととして取り扱われるんじゃないでしょうか。

気を病む原因にもなりますし(何度も胃を痛くしたことがあります)

漢字で「心を亡くす」と書くくらいですから、なるべく避けたいところ。

ですが、いつの間にか〆切に追われていて…なんて話はよくあります。

ボクは前職でお客様の多くが行政だったものですから、年度末に〆切が集中。

毎年12月くらいから毎日追われる日々を過ごし、それはもう精神的にキツかったですね。

そうなるとどちらかというとストイックなボクの場合、

ひたすら耐えてボロボロになって、心身ともに疲れ果てて週末は泥のように自宅で眠る。

その眠りが癒し。

みたいな最悪の生活。結婚してからはそんな生活と決別しました。

それやってると家庭が崩壊するんですよね…

妻に感謝(涙)

絶対なりたくないのに忙しくなってしまう。

この忙しいってなに?自ら幸せを遠ざけてるような行為にしか思えないんですが、

生きていくためには仕方ないんでしょうか。

忙しさに心を売りたくない

保育園のお母さんの話に戻ります。

いろいろ事情はあるんだと思う。

家ではお子さんに愛情たっぷりのお母さんなのかもしれない。

それでお子さんが満たされていればいいなと思う。

もし、満たされていなくて、忙しさが少しでも親を疑う気持ちを

芽生えさせるものであるならば、即刻、忙しさを滅殺した方がいい。

なぜなら、人を、ましてや最も身近な自分の親を疑う気持ちは

愛情とは真逆の方向性だと思うから。

自分に問うてみた。親を疑う気持ちを息子に与えていないだろうか。

思い返してギクっとした。

ボクが不機嫌な声色で話していると、息子は決まってこう言う。

「父ちゃん、いつも怒ってる。怒らないで。」

忙しさを理由に怒っていないだろうか。息子に疑われない親になりたい。

それが親の大事な務めの一つだと思った。

息子だけじゃなくて妻にももちろんそうだし、どんな人に対してもそう。

疑われずに信頼される人になりたいものだ。

忙しさの代わりに持ちたいもの

忙しさをなんとかコントロールできたとして。

その代わりに持ちたいもの。ありきたりですがあえて言います。

「愛」

安っぽく聞こえたかもしれませんね(汗)。

妻ともごくたまに愛について話すのですが

ボクは男性だからか愛情というものがどういう感覚なのかあまりわかっていません。

このことは自分の中で結構、コンプレックス。

一方の妻は「なんとなくわかる」と言います。

妻と一緒にいるといろんな苦難が襲いかかってくるのですが(苦笑)

今のところ、妻の寛大さもあり、なんとかくぐり抜けることができております。

そして苦難がある度に、妻がなんとなくわかっている「愛」というものが

少しずつわかってきたような感覚もあります。妻はこうも言います。

「恋は生まれるもの、愛は生み育てるものだと思う」

なるほど。恋は衝動的な感じがするけど、愛は自分でつくって育てる感じなのかな。

男性は(ボクだけ?)出産できないから、なおさらわからないのかもと思いましたが

最近思ったのは「愛は深まっていくもの」だということ。

愛することは、無垢な自分で相手と関わること

愛っていうのは、例えば、一緒に過ごして、いろんなことがあって、

お互いを知り、お互いに悩みがあって。それを相手との関係を通して

乗り越えていくときに、その相手に対する愛が深まっていくような気がします。

悩みを乗り越えることができなければ別れることになるのかもしれません。

では、悩みを乗り越えるために必要なものってなんでしょう。

いろいろあるのかもしれませんが

「人間として無垢な状態でいること、そして、その状態で相手と関わるということ」

だと思います。素直とかありのままとか疑う心がないとか、

表現の仕方は他にもいろいろあると思いますが。

自分の人間としての無垢さを相手にさらけ出せた時に

自分の中の愛が深まっていくような気がします。

人の本当のあり方

自転車で息子を保育園に送り届けた後、帰り道で羽をバタバタさせている

すずめが2羽、目に入りました。最初は交尾でもしてるんかな?

鳥ってこんな感じで交尾するんだっけか?なんて思って通り過ぎましたが

道の真ん中だったし、危ないよなぁと思って。気になって戻り、目を凝らして見てみました。

すると、すずめの1羽がケガをしているようで、もう1羽が助けようと

くちばしで引っ張っていました。ボクが近づくと引っ張っていたすずめは身の危険を

感じたのか飛んで逃げてしまいました。ケガしたすずめを道の端に逃がしてやろうと思い

近づくと、体を引きずりながらではありましたが逃げようとして

結果、車の通らない隅に避難することができた。

ボクは無意識に近かったと思いますが、ケガしたすずめが気になり、

助けたいと思ったんだと思います。晴れた日に野原できれいな花を見つけて

思わず「うわぁ、きれい」と手を伸ばす。

これはだれかに教えてもらったことなのでしょうか。

元々、人に備わっているような気もします。人が持つこういう感覚を大事にしたい。

こういう感覚に素直にしたがうことは、人の本当のあり方のような気もするのです。

忙しいと思う自分に勝てるか?

どうしても忙しい時ってあります。そして忙しいと上述したように心を亡くしてしまいがち。

忙しい人を見ると「大丈夫かな?何か手伝ってあげようかな」と思うことがあります。

いつも忙しい人を見ると「この人はいつも忙しそうだけど幸せなのかな」と心配になります。

身近な人がいつも忙しくてちょっとしたコミュニケーションすら取れない状況だと

「この人、私のことをどう思ってるんだろう?」と不安になります。

疑う気持ちが芽生えるのも仕方ないような気がします。

「忙しい」って日常にありふれているけど、油断しないように。

いつの間にか自分の中から愛と幸せが逃げているかもしれません。

※息子に「早く早く」と急かすことがあるのですが、それも忙しさゆえのことな気がします。

無垢な自分で、ちゃんと人に向き合う。シンプルですが、なかなかできてないこと。

何事も練習。身近な人と無垢な自分で関われば関わるほど

自分の中の愛が広がり、相手に対する愛情が深まっていくような気がします。

されど、忙しい時は忙しい。けど、

心を亡くさずにいられるか?

人としての純粋無垢な心を保てるか?

ほんと「忙しい」は大敵ですが、打ち勝つ自分を鍛えていきたいです。

ではまた。

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