
はじめまして。運営者の こいちゃん と申します( @mako621980 )。
数あるサイトの中から、本サイトにご訪問いただきありがとうございます。
このページでは、ボクがこれまでの人生で経験して学んだことや
ブログを始めるに至った経緯をお伝えしますね。
目次
人生のハイライト(経験から得た教訓)
[生誕〜中学生] いかなる時も、肉体を健全に保つべし。
徳島の自然豊かな町で長男として生まれ、
幼稚園くらいの時には近所の友だちと山を駆け回る田舎少年でした。
体を動かすのが好きだったので、小学校〜中学校では機会に恵まれたこともあって
野球と陸上に打ち込んだ。そのせいもあってか、
体を鍛えることの喜びを知ることができたなぁと思います。
"健全な精神は健全な肉体にが宿る" 古代ローマの詩人・ユウェナリス
人間関係がうまくいかなくてイライラすることもありますが、
そんな時こそ体を鍛える。そうすれば心も晴れると暗示をかけていますww
教訓:いかなる時も、肉体を健全に保つべし。
[高校生] できないことの悔しさと、できることの喜びを忘れずに生きる。
1番の経験は、大学受験前に「書痙」という病気を患ったことですね。
あれはキツかった。症状としては、文字を書こうとすると手が震えたり、硬直して書けなくなるんです。
神経症の一つで字を書くことを職業とする人に多いみたいで(母の指導の下、書道を12年間教わってました)、
インターネットもなかった時代でしたので、どうしたらいいのか分からず…
時間は刻一刻と過ぎ、大学受験の日が近づいてくる。焦るボク。そして至った結論が…
「右手がダメなら左手だ」
ということで左手で書くことにしました。
最初はミミズが這ったような字で、書くのも遅い。
当然ながら、テストの時間は限られていますので、タイムアップになって悔しい思いもしました。
けど、右手で書けなくなったので、左手で字が書けるということは
すごく嬉しかったのを今でも覚えています。
今まで普通にできていたことができなくなった時の悔しさ、虚しさ、絶望、苛立ち。
今までどおりではないけど、できるようになった時の嬉しさ、満足感、希望、心の平穏。
そしてコツコツと勉強し続けた結果、希望する大学に合格することができたのです。
※大学入学後、左手も書痙を発症してしまうのですが(この時もツラかった)、
大学院生の時に専門の先生がいることを知り、手術を決意。幸いにもほぼ完治しました。
だれもが老いゆく体を持っています。今、普通にできていることが
できなくなる日が必ずやってきます。けど、そのことに絶望せず、
できていることに光をあてて、機嫌よく生きることは強さだと思います。
教訓:できないことの悔しさと、できることの喜びを忘れずに生きる。
[大学・大学院] 成長したければ、やり続けろ。
大学では環境資源科学を、大学院では環境化学を専攻しました。
難しそうだなと思われた方もいるかもしれませんが、
要は、環境問題を解決するための知識を学んだり、研究したりするわけです。
環境問題を解決することは、小さい頃からの夢だったので
研究室に入ってから「好きなことに没頭することの快感」を知りました。
朝から晩まで、実験して、結果をまとめて、考察して、よくわからなくなって、
研究室の先生に相談して、ヒントもらって。実験の計画をもう一度立て直すために
先行する論文を読んで、論文にまとめることも含めて期日までに間に合うのか計算して。
こうやって書いてみると結構、大変そうに思えるかもしれませんが
やってると、というかやり続けていると楽しくなってくるんですよね。
こうなったら、どんどん探究心も磨かれて、成長のスピードも速くなって
ますます楽しくなって、その分野のスペシャリストになっていくんだと思います。
ブログもそうなるようにやり続けたいと思います。
教訓:成長したければ、やり続けろ。
[就職(1社目)] やりたいことをやらないと病みます。
大学・大学院時代、研究に没頭する一方で
研究というアプローチによって環境問題を解決することは
なかなか難しいという思いもあり、本意ではありませんでしたが
会社員として働いてみたい思いもあり、医薬品原料等の分析技術者として2年働きます。
白衣を着て、実験するイメージです。
上司や同僚に恵まれましたが、自分の本当にやりたいことではないことに
毎日時間を費やすのが耐えきれず、「なんのためにボクは生きているんだ…」と
精神的なツラさを身を持って体験。2年で辞職することとなりました。
自分のやりたいことを実現するために時間を取ること。行動すること。
教訓:やりたいことをやらないと病みます。
[就職(2社目)] 自分の人生を生きろ。
夢を叶えるために、再生可能エネルギーコンサルティング会社で12年働きます。
自分なりにがんばったつもりですが、納得のいく仕事はほとんどできなかったと思っています。
ボクたちの仕事は、木質バイオマスと呼ばれる木の燃料を使ったシステムの提案をして、導入してもらうこと。
けれども、障壁がたくさんあります。
既存システムに比べて、初期投資も維持費も高い。運用に手間がかかる。
いくら社会的に良いことをしていても、現場のお客様は実際の負担が大きく
メリットを感じるのが難しい。そもそも、こういったシステムは民間の業界において
競争力が弱く、公共事業で導入されるケースがほとんどです。
だから、お客様が喜ぶ「儲かるシステム」を提案するのはめちゃくちゃ難しく、
無力さを突きつけられる日々が何年も続きます。
そしてまたもや精神の限界が。
これ以上、がんばれない。
この会社から採用の連絡をいただいた時は、夢の実現につながると思って
目を輝かせていました。が、今思い返すと
[結婚生活スタート] 結婚はチャレンジングな人生のはじまりだ。
会社員時代(2社目)、ゆるいスポーツサークル活動で妻と出会います。
かわいい人だなぁと思った記憶があります。はい。
友人にたくさんお膳立てをしてもらい、めでたくお付き合いがはじまり、
年齢も若いわけではなかったので、あれよあれよと結婚が決まりました。
最初はいいんです。最初のほうは。
一緒に生活する時間が長くなってくると、お互いの「違い」が見え始めます。
やらかしたこととしては、独身時代は会社の同僚と遅くまで飲んでたので
結婚してから同じように深夜に帰宅。しかも連絡もせず…
妻は相当心配したらしく、激怒。玄関で家の鍵を投げつけられましたね…
とまぁ、「常識だと思っていることが、相手にとっては非常識」なんてことは
よくあるわけですが、それを心穏やかに理解できないものですから争い勃発。
小さなこともだんだん積もり積もって、気づけば怒りの山が大噴火…
なんてことが起こるわけです。
が、ボクの妻の最もすごいところは、お互いが納得できてないような雰囲気になった時に
「ちょっと話さない?」
と話し合いの場をつくってくれるところ。
その話し合いでは、お互いが持っている常識とか疑念とかをさらけ出し、
まずは相手のことを知る。その時、相手を理解できるかどうかはぶっちゃけどうでもよくて
とにかく相手は「深夜に帰宅するのに連絡しないのは言語道断」と思う人間なんだ、
今度からは気をつけようとなるわけです。
この話し合いを繰り返すことで、夫婦は「遠慮しない関係」になります。
自分をさらけ出すことに拍車がかかります。
ボクは友人から温和で優しい性格だと言われます。
それは自分をさらけ出すのをグッと我慢し、ニコニコしているだけからなのかもしれません。
妻の場合は、一緒に過ごせば過ごすほど、そうじゃなくなる。
良く言えば、「ありのままの自分でいられる」わけです。
このことは諸刃の剣的なところもあって、修復不可能なレベルでお互いを傷つけてしまって
別れてしまうケースもあるんだと思います。時にリスクは大きいですが
人生でこんなにもあけすけな関係になれる人も少ないと思います。
しょうもないことでイライラする自分を超えることができるか?!
結婚によって、そんな日常を歩んでいます。結婚、バンザイ!
教訓:結婚はチャレンジングな人生のはじまりだ。
[子を授かる] 親は子どもに育てられる。
子は親の鏡です。子は親がどんな状態なのか、知らせてくれます。
それを謙虚に受け止められるか。そして成長できるか。
子育てしてると、どちらが未熟なのかわからなくなります。
子育てってすごいです。
教訓:親は子どもに育てられる。
[個人事業主登録] 自分の仕事をつくる。それは最高のチャレンジ。
2社目の会社を退職してから職業訓練(3ヶ月・Webクリエイター)を受けました。
卒業後、個人事業主登録を済ませ、会社員の時とは違って自由に働ける感覚があります。
一方で、自分のやりたい仕事をつくるのは難しく、チャレンジの連続です。
Webデザイン会社でライターとして雇ってもらったりしながら
「書くこと」が自分の仕事につながっているような気がして
ブログ毎日更新という挑戦をすることにしました。
自分の仕事をつくる。それは最高のチャレンジだと思うに至りました。
これからの時代のことを考えると、
「チャレンジすること自体が価値」
そう感じています。
なぜブログをはじめたのか?
「ブログは書くこと」
「書くことは自分を表現すること」
「自分を表現することは後悔しない人生を歩むこと」
自分もそうありたいし、全人類、そうあって欲しい。
だから、まずは自分がブログを書く。
そして、人生を謳歌する。
その実績ができれば、同じように生きたい人のお手伝いができるかもしれないし
この世界はもっともっと楽しくなるんじゃないかと思っています。
おわりに
こんなに長くてしかもプライベートな内容を読んでくださる方がいらっしゃったら
奇跡としか言いようがありません。ブログを始めてよかったと心から思います。
こうやって過去のことを思い返しながら書いていると
自分にとっての意味が新たに見つかる時があります。
過去の事実は変わりませんが、
過去の事実に対する意味づけは自分で変えることができるのだと思います。
「書く」という行為自体に神秘的なものがあって
惹きつけられているのかもしれません。
一人でも多くの人に役立てるサイトになるよう、がんばります。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。